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山麓かいわい
(1)  仁王門(山門)
明治44年の再建。左側の扉は、 寿永の頃(1182~4)のもの。 両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶作と伝承。浄域への結界。
(2) 観音
 ・還浄水
(3)童形六体地蔵尊
(4)鳥樞沙摩明王殿(山麓お手洗い) 
うすさまみょうおうでん
自然環境にやさしいお手洗いがコンセプト。 「烏樞沙摩明王」を祀る。 一切の不浄を変じて(焼き尽くし)清浄に するお徳をもち給う便所の守護神。
(5)歓喜院・修養道場
廃絶した山内の十院九坊を一棟に結集するために昭 和39年に建立。聖観音像を奉安し、慈愛の心の場 として、写経・法話ならびに書道・華道・茶道・水 墨画によって心を磨く修養道場ともなっています。
平成24年には、道場内に少年少女の教育や成年の 啓発のための施設『めぐみ精舎』を創設。

修養道場











聖観音像
(6)ケーブル普明殿(山門駅)
智慧の光を象徴する毘沙門天像が奉安され、鞍馬山の真の姿を伝え、参拝者の利便のためのケーブル駅。
昭和32年鞍馬山ケーブル敷設、鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一、宗教法人が運営し ているケーブル、2分で多宝塔駅に到着。

ケーブル普明殿(山門駅)












毘沙門天立像
(7)ケーブル多宝塔駅(山上駅)

ケーブル多宝塔駅(山上駅)
多宝塔

ケーブル  牛若号Ⅳ世
(8)多宝塔駅からの参道
多宝塔駅から参道を進むと、やが
て、弥勒堂に到着。そこを過ぎると、
九十九折(つづらおり)参道
と合流し、転法輪堂に至る。
(9)弥勒堂
九十九折参道
元気な人は、ケーブルを使わず、ケーブル山門駅の横の九十九折の参道を登りましょう。この道は、平安時代、清少納言が 「遠きて近きもの、くらまのつづらをりといふ道」 と綴ったことで有名です。
(10)放生池
(11)吉鞍稲荷社

普明殿を少し過ぎると右手に 「放生池」「吉鞍稲荷社」「魔王の滝」や「鬼一法眼社」 があります。
『義経記』で義経は、兵法の大家、鬼一法眼から兵法書 『六韜』 を盗み、学んだとされています。
(12)魔王の滝
(13)鬼一法眼社
(14)由岐神社
由岐神社の祭神の「靫明神」は、天慶三年(940)天慶の乱が起きたので朱雀天皇の勅により、鞍馬寺に遷宮し、北方鎮護を仰せつかった鎮守社です。
鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものだと伝承。

由岐神社 荷拝殿(重文)豊臣秀頼再建
(15)山本青瓢歌碑
「火祭や鞍馬も奥の鉾の宿」
           青瓢
(16)川上地蔵堂
「川上地蔵堂」は、牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られ、「義経公供養塔」は、牛若丸が住まいした東光坊跡に昭和15年建立されました。
義経の魂は少年時代を過ごした鞍馬山に鎮まっていると伝えられています。
(17)義経公供養塔
(18)愛と光と力の像
   「いのち」
この像は、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化したもの。
像の下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心であり、光かがやく金属の環は曇りなき真智の光明、そして、中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を象徴しています。

澤村洋二作
(19)双福苑
この辺り一帯を双福苑と呼び、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。
(20)信樂香雲歌碑
「つづらをり まがれるごとに水をおく やまのきよさを 汲みてしるべく」   香雲
(21)中門
元来、山麓の仁王門の横にあって勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の使いである勅使の通る門でしたが、この場所に移築されました。
しばらくすると参道が石段となり、途中「皇后陛下行啓御休息蹟」という石碑があります。大正13年、貞明皇后(大正天皇の皇后)が行啓の際、休息された場所です。
(22)貞明皇后行啓
   御休息跡
「皇后陛下行啓御休息蹟」。
大正13年、貞明皇后(大正天皇の皇后)が行啓の際、休息された場所です。
(23)巽の弁財天社
学芸・財宝を司る福神、弁財天を祀る。
水琴窟も付設されている。
(24)転法輪堂
    ・洗心亭
転法輪堂、伝重怡上人礼拝之仏、木造阿弥陀如来座像(江戸時代)平安時代に13年間も堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続けた重怡上人が、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来。
洗心亭は、参拝者のための無料休憩所とギャラリーを併設。
転法輪堂
木造阿弥陀如来坐像
(25)寝殿
参道の左側に位置する寝殿造りの建物は、貞明皇后の行啓の際、休息所として建造されました。
現在では、非公開ですが、八月に開催される如法写経会の道場となっています。

転法輪堂、1階洗心亭、無料休憩所・ギャラリー
本殿まわり
(26)本殿金堂・金剛床
宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されます。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られています。
狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天のお使いである神獣。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによります。五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、宇宙の全てを包含すると言われています。
本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっています。
本殿金堂(奥)
金剛床(手前)
阿吽の虎
(27)閼伽井護法善神社   水の神を奉安

閼伽井護法善神社(本殿東側)
(28)光明心殿   護法魔王尊を奉安

光明心殿(本殿西側)


















護法魔王尊像
松久朋琳作
(29)本坊(金剛寿命院)
本殿の西側にあって、鞍馬寺寺務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれています。
前庭「瑞風庭」は、奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現しています。
奥の院参道
本殿の左側の参道を登って2分程で霊宝殿(鞍馬山博物館)に至ります。その途中には、先代管長信樂香雲の歌の師である與謝野晶子・寛の歌碑と移築された晶子の書斎、冬柏亭があります。
その前が霊宝殿(鞍馬山博物館)で、その先は、牛若丸が天狗に剣術を習ったという伝説の場所、僧正ガ谷を経て魔王殿に至る奥の院参道が始まります。
(30)與謝野晶子・寛歌碑
「何となく君にまたるるここちして
いでし花野の夕月夜かな」與謝野晶子

與謝野晶子 歌碑
「遮那王が背比べ
石を山に見て 
わがこころなほ明日
を待つかな」
與謝野寛(鉄幹)

與謝野寛歌碑
(31)冬柏亭
與謝野晶子書斎
(32)霊宝殿(鞍馬山博物館)
霊宝殿(鞍馬山博物館)の1階は、自然科学博物苑展示室。2階は、寺宝展観室と與謝野寛・晶子の記念室。
3階は、仏像奉安室です。
鞍馬寺では、霊宝殿(鞍馬山博物館)だけでなく、鞍馬山全体を自然ミュージアムと、捉えています。
(33)息つぎの水
霊宝殿を出て、小さな門をくぐると、険しい奥の院参道となります。
牛若丸は、天狗に兵法を習うために深夜、独りで奥の院道を急ぎ、途中で息つぎのために湧水を飲んだ場所とされています。
(34)屏風坂
    の地蔵堂
(35)背比べ石
平家が父の仇であることを知った牛若は奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔します。
その際、名残を惜しんで、この石と背比べをしたと伝承されています。
(36)木の根道
根が地表面でアラベスク模様を描くのは、この辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることが出来なかったため。
牛若も「木の根道」で兵法修行をしたと伝えられています。
「下に這う鞍馬の山の木の根見よ 耐えたるものはかくのごときぞ」
與謝野寛(鉄幹)
(37)大杉権現社
この辺りは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの高い場所として知られています。
(38)不動堂
「大杉権現社」前方の小径を行くと、「背比べ石」から直進していた道と合流し、「不動堂」に出ます。
ここには、伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています。
(39)義経堂
奥州で非業の死を遂げた義経の御魂は、懐かしい鞍馬山に戻り安らかに鎮まっていると伝えられ、遮那王尊として祀られています。
この辺りは、牛若が天狗に兵法を習った「僧正ガ谷」です。
(40)魔王殿
「魔王殿」は太古、護法魔王尊が降臨した磐坐・磐境として崇拝さ れてきましたた。
「木太刀もて岩を斬りたる遮那王の やという声に似る歌無きか」
與謝野寛(鉄幹)
「太刀跡の岩 義経が裂きたるや 杜鵑の声が紋を残すや」
與謝野晶子